トップ>藤枝市の歴史 ワンポイント
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| NHK大河ドラマ「風林火山」で取り上げられた、 花倉城・花蔵の乱があったのが、ここ藤枝♪♪です。 少し学んでみましょう。。。 |
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花蔵の乱と花倉城
乱の発端は天文5年3月17日に前当主・今川氏輝(うじてる)が24歳の若さで急死したことによります。さらに同じ日に氏輝の兄弟である彦五郎も死去しています。2人の兄弟が同時に亡くなったことによって今川氏の家督をめぐって危機的な状況が生じました。氏輝には子がなかったので、家督候補者として僧身分になっている氏輝の2人の弟が挙がりました。一人は今川義元で、母親は氏親(うじちか)の正室 (晩年出家して寿桂尼[じゅけいに]といった)です。氏輝が亡くなったとき義元は善得寺( 花蔵の乱については、今川館のあった駿府周辺や由比城などで両軍の戦いが行われており、乱の最終段階は花倉城が落城し、瀬戸ノ谷に逃れた恵探たちは本郷の亀ヶ谷沢で自害し乱は終息しました。こうした反対派の一掃を通して誕生した義元政権が家中における権力を集中させ国力を充実させることができたと考えられます。恵探が自害した場所には江戸時代に供養塔が立てられています。 今までは、花倉地域でおこった反乱という意味で「花倉の乱」と呼んでいましたが、現在では「花蔵殿の乱」という意味で「花蔵の乱」と表記しています。 |
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| 今現在、城は残っておりませんが、ゆかりの寺院等は存在しており、城址迄の道のりが、ハイキングコースになっております。是非一度歩いてみて下さいませ。 | |||